押隈 二代目市川左團次
おしぐま にだいめいちかわさだんじ
概要
押隈 二代目市川左團次
おしぐま にだいめいちかわさだんじ
本紙902×318、額1260×450(mm)
千代田区隼町4-1 国立劇場
登録番号12095-48
鈴木十郎コレクション
調査監修:石橋健一郎
解説:安冨順
独立行政法人日本芸術文化振興会
隈:鳴神の隈。役者:二代目市川左團次。役名:歌舞伎十八番『鳴神』の鳴神上人。昭和8年(1933)1月、東京歌舞伎座公演時のもの。『鳴神』は寛保2年(1742)1月、大坂・大西の芝居、二代目市川團十郎初演『雷神不動北山桜』四段目で、高僧鳴神上人が美女雲絶間姫に色香に迷い堕落する筋。上演が絶えていたが、明治43年(1910)5月、東京明治座で左團次が復活させた。隈は堕落後の上人の憤怒を表現する。添書:「鳴神を演して/初雷や/百千万の/耳に聞け」。署名:「昭和癸酉初春 杏花(朱印)左團次」。二代目市川左團次:明治13年(1880)~昭和15年(1940)。初代市川左團次の長男。岡本綺堂ら部外作家の作品(「新歌舞伎」とよばれる)の上演、古劇の復活のほか、盟友小山内薫と明治42年(1909)、自由劇場を立ち上げるなど、新劇運動にも深く関与している。威風堂々たる芸風。大向こうから「大統領」と声がかかった。劇団四季の代表、浅利慶太の大叔父。