鳥羽山洞窟
とばやまどうくつ
概要
丸子町を貫流して千曲川に合流する依田川の北岸、鳥羽山の裾に位置する洞窟であり、頁岩質礫岩の露頭に開口する。間口は約25メートル、奥行約15メートル、川床から約15メートルの高さを測る。3次にわたる発掘調査の結果、繩文時代、弥生時代、古墳時代、さらに近世に至る遺物・遺構の存在が確認され、特に洞内一面にひろがる古墳時代の敷石遺構とそれに伴う遺物群が注目された。
この敷石遺構は、依田川の河原石を用い、洞奥中央部から岩庇線まで敷きつめている。平面扇形のひろがりを示し、傾斜面に沿って3段に構築し、各々の平坦面に死者を埋葬し、副葬品を配置している。各々の人骨の出土状態には3つの類型があり、1つは石敷面上あるいは石囲い中に安置された状態を示す類、2つは複数の人骨が集積された状態の類、3つは細かく砕けた焼骨群である。なかでも前二者は風葬墓的な様相を示すものとして注目される。
遺物は、明らかな副葬品と、特定の埋葬人骨との関係の不明瞭なものとがある。土師器、須恵器をはじめ、武器・馬具・工具などの鉄器類、滑石製の玉類とガラス製小玉、琴柱型石製品や石釧・砥石・銅釧など多種多様であり、古墳時代前期から中期に位置づけられる。
この時期としては独特な葬法をものがたるとともに、各時代にわたる顕著な遺構・遺物を含む重要な洞窟として重要である。