土井ヶ浜遺跡
どいがはまいせき
概要
土井ヶ丘といわれる海浜の近くの砂丘にある遺跡で、弥生式時代に営まれた墓地である。この遺跡は、早くから学界にも注目されていたものであり、昭和28年から同32年にわたり、金関丈夫博士等によって、その一部地域が発掘調査され、200体余の人骨が発見された。埋葬施設としては、礫石を四隅に配する簡單な施設をなすもの、礫石を四周に長方形に囲んだ一種の石囲いをなすもの、組合式箱形石棺などの各種のほかに何等の施設を伴わないものも存した。ことに同一施設内に人骨が二体以上埋存しているものや、枕辺または足もとに頭骨のみがならべられている特殊なものもあり、また貝製腕輪を着製し、石鏃・牙鏃が射込まれた状態で埋葬された例も発見された。頭向きはほぼ東枕である。副葬品として、硬玉製勾玉、碧玉岩製管玉、貝製小玉、ガラス製小玉、貝製腕輪、貝製指輪等の装身具が出土したが、他に弥生式土器その他の遺物も檢出された。
この遺跡は、弥生式時代前期の終り頃を中心として営まれた集団墓地であり、当時における埋葬習俗や墓制を知るうえに学術上貴重な遺跡であると認められる。ことに、完全人骨が多数発見されたことは、人類学上の研究にも寄与するところが多い。