居涇墨蹟 尺牘
きょけいぼくせき せきとく
概要
白雲慧暁は東福寺の円尓(聖一国師)に随侍したのち、39才で入宋し、師の同門である希叟紹曇をはじめ諸尊宿にまみえ、14年後の弘安2年(1279)に帰国した。東福寺四世になって円尓に嗣香を捧じ、のち洛北栗棘庵に退き、永仁5年(1279)に70歳で示寂した。これは宋地の旧友居涇が、はるかに白雲示寂の報を聞いて七絶二十八字を吟じて哀悼の真情を述べ、慧日山(東福寺)の諸師に寄せて来たものである。筆者居涇の伝は不詳で、ただ本幅のあることによって、希叟(無準師範仏鑑禅師門下)の会下にあった守塔の弟子であったことが知られるのみである。「居涇」はおそらくその法諱であり、道号も不明。これは現在知られる師の唯一の遺墨であろう。
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