古林清茂墨蹟〈与無夢一清偈/泰定四年至節後三日〉
くりんせいむぼくせき
概要
古林清茂(一二六二-一三二九)は中国元代の禅僧で浙江省温州の人で、別号を休居叟、金剛幢と称した。松源派の横川如〓の法嗣で、その門下には了庵清欲、竺仙梵僊、わが国の月林道皎、石室善玖などを輩出し、元代禅林の第一人者にあげられている。
本幅は、泰定四年(一三二七)古林清茂が人元した清禅人すなわち無夢一清に与えた偈語で、全文は一三行からなる。
「清禅人、参禅之志頗
有古人之風、而必欲入
不思議境界、心逾労
迹愈疎矣、且仏祖之
道豈別有境界、謂之
不思議、但能一刀両段
直截無疑、則日用現行
即不思議境界也、祖
師云、一心不生万法無
叔、如是而参、如是而会
六二時中渾大用、勉之、
泰定四年至節後三日
鳳台休居叟 清茂
「〈休居/叟〉」(朱方印)「〈金剛/幢〉」(朱方印)
内容は、熱心に参禅する一清を賞し、不思議の境界に入らんとするよりも、その有無の見解を一時に断ち切り、日用の現行に工夫を凝らすべきであると説いている。当時、入元僧【にゆうげんそう】には金陵鳳台の保寧寺に茂古林を訪ね、法を求める者が少なくなかった。この墨蹟をうけた無夢一清は聖一国師円爾の孫弟子にあたり、入元して滞留すること三〇年に及んだ。その間、諸僧を歴訪してその法器を認められ、月江正印から「無夢偈」を寄せられている。帰朝後、備中井山の宝福寺に入り、その後東福寺第三十世を住持して、応安元年(一三六八)に示寂した。
わが国に伝来する古林清茂の墨蹟のなかでも本幅は優れた筆法を有するもので、その晩年の筆跡を示す代表的な遺品であり、当時の入元僧の研究態度なども伝えて日中禅林交渉史上に注目される。