用章廷俊墨蹟 偈
ようしょうていしゅんぼくせき げ
概要
定水(浙江省寧波)にいた見心来復のもとで修業していたわが国からの留学僧以亨得謙が、さして遠からぬ杭州の中竺に用章廷俊を訪ねた。これはその時(至正20年・1346)用章が以亨の法諱「謙」にちなんでか、遠祖大慧とその弟子道謙の故事をひいて書き与えた七律形の偈頌である。
仏法はインドやシナにだけでなく、日本にもある、この国の中をあちこち歩き廻ったとて同じことだ、しかしこうして努力していれば、大慧の弟子の道謙と同じように、何か得るところもあろう、そのような意味か。
用章廷俊(1299〜1368)は、その大慧派の笑隠大訢の法嗣で、日本から行った椿庭海寿や無我省吾の師に当たる。見心は別系で松源派の南楚師説を嗣いだ人。もらった以亨の伝は詳しくは分からない。在元2〜30年の永きに及んだらしく、帰っては建長寺・円覚寺など鎌倉の名刹に住し、応安7年(1374)以来文献からその消息をたっている。用章の遺墨は珍しく、日本曇蔵主に与えたものと、肥後成道寺開山寰中元志あてのものが知られる程度である。
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