月礀文明墨蹟 拈香語
げっかんぶんみょうぼくせき ねんこうご
概要
月礀文明は仏鑑禅師門下西巌了慧の嗣で、饒州の薦福寺、廬山の開先華蔵寺などに住し、太白山天童景徳寺を嗣いでいる。詳伝不明であるが、至大3年(1310)に83歳でなお生存していたことが知られる。「永明」と称したこともあるらしい。これは弥天和尚なる人の三回忌に際しての拈香語である。弥天については、東巌浄日墨跡款印に「圓應」とあることから、月礀から見ると西巌下の同門である東巌会下の人と考えられている。すなわち弥天は月礀の法姪に当たる。ただ本幅中の文言「円応門庭・・・弥天和尚」からは、すぐに寂室元光(円応国師)の法嗣の弥天永釈のことが想起される。本幅の筆致は藤田美術館本と細部まで似ており、月礀の「同途」(萬野美術館蔵)二大字は、本幅第二行目のそれを拡大して双鈎塡墨したかと見紛うばかりである。考えさせられるところの多い一本である。
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