三代目嵐璃寛の二代の尾上と初代大川橋蔵の岩藤亡霊
さんだいめあらしりかんのにだいのおのえとしょだいおおかわはしぞうのいわふじぼうれい
概要
天保の改革により役者絵の版行が約五年間停止された後、大坂では大判の半分の大きさである中判で再開される。この時期、浮世絵作品を一手に引き受けていたのが広貞であった。画面左下に「五」とあるので組物の一枚かと思われるが、他の作品については不明である。中判という狭い空間に二人の役者の半身像を描いているが、背景のぼかし、左上の金銀の蝶、岩藤の衣裳に使われる金の絵の具など、彫りと摺りの技術の高さが見て取れる逸品である。