南部信直夫妻の墓石
なんぶのぶなおふさいのぼせき
概要
南部信直は、南部家中興の祖といわれる第26代当主であり、田子城、三戸城を居城とし、九戸の乱の後は九戸城を福岡城と改め南部氏の本城とした。慶長4年(1599)、行年54歳で死去している。
夫妻墓として信直とともに祀られているのは、泉山古康(出雲政弘)の娘で、27代利直と檜山御前と呼ばれた秋田忠次郎李隆の室の生母でもあり、寛永17年(1640)死去した、
江戸後期の盛岡藩内の名所・旧跡・寺院などについて記した『北奥路程記』には、南部信直夫妻の墓に簡単な覆屋がかけられていた様子が描かれている。