高山彦九郎墓
たかやまひこくろうのはか
概要
遍照院ノ墓地ニアリ 高山彦九郎寛政五年六月十九■櫛原村ノ森嘉膳ノ家ニ宿シ同二十七日晝■屠腹翌朝絶命セリ
遺骸ハ假ニ嘉膳ノ屋敷内ニ埋葬セラレンガ十月十一日ニ至リ此ノ地ニ改葬セラレタリ
墓石ハ高サ二尺五寸正面中央ニ「松陰以白居士」、其ノ左脇ニ「寛政五癸丑年」右脇ニ「六月二十七日」又右側面ニ「生國上州新田郡細谷村高山彦九郎正之墓」ト刻セリ 墓石ノ左右及背部ニ互リテ設ケラレタル石柵及墓石前ノ水盤ハ萬延元年高橋良満(村田新■)ノ奉献ニ係リ又安政五年平野國臣献スル處ノ石燈籠等アリ
墓ハモト平地ニ営マレ明治三十年石壇ヲ築キシガ同四十四年ニ至リテ之ヲ撤去シ略■舊状ニ復スルト共ニ周囲ニ石柵ヲ設ケタリ 此ノ時西向キヲ南向キニ政メシモ墓ノ位置ハ変動ナキノミナラズ墓石等ハヨリ舊態ヲ存セリ