旧松波城庭園
きゅうまつなみじょうていえん
概要
松波城は能登半島の先端近くに位置し,日本海に注ぐ松波川左岸の丘陵部を利用して築造された城である。中世における能登(のと)守護職(しゅごしき)の畠山氏の一族でもあった松波氏の居城であり,天正(てんしょう)5年(1577)の上杉謙信による能登侵攻によって落城したとされる。
松波城の東南端付近の平坦地で行われた発掘調査の結果,15世紀後半から16世紀にかけての建物跡と枯山水(かれさんすい)の庭園遺構が発見された。
特に,枯山水の庭園は,一群の景石(けいせき)(庭園の景観の要素となる庭石)を相互に結んで平らな丸い礫を小端立(こばだ)てに敷き詰め,水の流れを表現したものである。その変化に富んだ意匠・表現手法には,他に類例を見ない特に優れたものが見られる。
松波氏は,中央の有力貴族であった日野氏の被官として在京し,洗練された庭園文化を摂取する素地を十分に備えていた可能性がある。枯山水の流れの遺構は,松波氏が京都から受け入れた作庭の理念のみならず,この地に固有の石材を使って独特の意匠・工法を定着させたことを示している。
その庭園史上の価値は高く,よって名勝に指定し,保護しようとするものである。