旧熊本藩八代城主浜御茶屋(松浜軒)庭園
きゅうくまもとはんやつしろじょうしゅはまおちゃや(しょうひんけん)ていえん
概要
細川藤孝(幽斎)・忠興(三斎)以来の主従関係を持つ松井氏は、正保3年(1646)八代城守衛の任につき、明治に入ってその任を解かれるまで八代城に在城する。
3代直之の元禄元年(1688)母崇芳院尼のために建立した茶庭が松浜軒である。
松井家文書(熊本大学附属図書館蔵)に「一濱の御茶屋 元禄元年の春御建被成、崇 芳院様の御茶屋ニ被成候、古昔の赤女池御庭内ニあり、其前延宝年中慈福寺黄檗派御建立被成、慈福寺を廃し梶畠と成居候所ニ御茶屋御立被成り、松濱軒と称し申候」と記され、建立の経緯を知ることができる。
松浜軒は八代城北西にあり、古くからの砂浜堤防内の沼池を取り込み、球磨川から導水して庭園とした立地であり、浜堤には松林が連なり松波越しに八代海・宇土半島 さらに遙か雲仙を望む雄大な眺望の庭園であった。庭園は主として座敷より眺めるも のである。北方松波は広葉樹の樹林となっているが、木々の茂る緩やかな起伏の築山から徐々に手前の池に向かって下る空間は東西に延びていて、広く明るい。池岸は芝 付きであったと思われるが、現在は全体に緩やかな傾斜切石護岸で、穏やかな収まりを見せている。近くに広がる水面には、中島が設けられ、東よりは州浜として穏やかな景にアクセントをつけている。座敷西方は古昔の赤女池で護岸は大石を縦に組み、背後には勾配のある築山を負って人為的な景を形成している。また、南寄りには茶庭に繋がる池に八ツ橋が架けられ、絵画の画題を想起させる。雄大な眺望風景は残念ながら都市化の影響で望むことはできないが、なお庭園は大名庭園として変化に富んだ景を構成しており、当時の形状を良く今に伝えている。
本庭園は上記のように江戸時代前期の大名庭園として良好に保存されていて貴重であり、名勝に指定して保存しようとするものである。