後閑家文書
ごかんけもんじょ
概要
後閑家は、元和9年(1623)に上横川に碓氷関所が設置されて以来、代々、7人いる定附同心の1人として碓氷関所に勤めてきたが、その歴代当主が残した膨大な史料群が「後閑家文書」である。昭和47年に、当時の丸山駒沢大学教授を中心とする駒沢大学歴史科課外ゼミ・近世交通史研究会が「所在・分類目録」を作成し、A:法制・政治、B:土地、C:人馬継立・休泊、D:貢租・宿経済、E:関所、F:経済、G:林野、H:学問・教育・文芸、I:庶民生活に分類し、さらにそれらの中を中項目・小項目・細項目に分類して、年代順に整理した。昭和52年には群馬県史編纂事業の一環で駒沢大学作成の目録を基に調査を行い、一部マイクロ・フィルム撮影を行った。さらに平成11年には群馬県立文書館が「後閑家文書」の大部分をマイクロ・フィルム撮影を行い、数点の史料を追加した。このような経緯の中、「後閑家文書」は、「群馬県史資料編第10巻」、「松井田町誌」、金井達雄「中山道碓氷関所の研究(上下巻)」で取り上げられ、中山道の交通や碓氷関所・堂峰番所の研究には欠かせない史料となっている。