薩藩旧記雑録
さっぱんきゅうきざつろく
概要
『薩藩旧記雑録』は薩摩藩の記録奉行であった伊地知季安(一七八二-一八六七)・季通父子の手になるもので、薩摩・大隅・日向三国にまたがる旧薩摩藩領内に関する平安時代末期より明治時代までに至る諸史料を集大成して編年順に収めたものである。『薩藩旧記雑録』には、島津家本(東京大学史料編纂所蔵)以外に内閣文庫本(国立公文書館蔵)、鹿児島県庁本(鹿児島県立図書館蔵)がある。島津家本は原本にあたる伊地知季安・季通父子の自筆草稿本で内閣文庫本に増補修訂を施し、前編四八巻、後編一〇二巻、附録三〇巻、追録一八二巻の全三六二巻からなっている。このうち前編・後編は主として季安、附録・追録は季通の筆になる。
本書の体裁は袋綴冊子(明朝装)で、表紙は茶染紙、外題は題簽に「〈前/編〉舊記雑録巻『幾』」と墨書する。各編ごとの背書に「舊記雑録 前編 巻『幾』」、下辺小口に「前『幾』」の墨書を確認できる。料紙には楮紙を用いるが、紙質や法量などはさまざまであり、統一性を欠いている。また筆致も書写する数量の多さから倉卒で、正に自筆草稿本としての状態をよく示している。しかし、書写されている文書記録をみると、書写に際して料紙の欠失した部分を点線で表現したり、「キレテナシ」などと細かに注記しているところから原本を忠実に書写する真摯な姿勢がうかがわれる。書写したものの文頭、文末にみられる文書記録類の所在・出典や正本・写本の別、また文中の朱墨注記などは多くが季通筆になるものである。文書記録類に関する考察、考証は「按」「考」として加えており、そのために季安・季通が引用した史料としては、『島津家譜』『新編島津氏世録正統系図』、山本正誼の『島津国史』、得能通昭の『西藩野史』や『東鑑』等がみえている。
島津家本『薩藩旧記雑録』の編纂過程は、まず伊地知季安が文化末年(一八一七)ころより編纂に着手し始め、慶応三年(一八六七)の没後は父の意志を季通が受け継いで明治三十年(一八九七)ころまでの約八〇年を費やして完成させたものである。季通は弘化年間(一八四四-四八)のころより史料の書写・収集にかかわっていたことが知られる。こうして収録された史料は平安時代末期のものから年代順に配列し、初代島津忠久から明治の当主忠義に至るおよそ七百年間に及んでいる。本書には旧薩摩藩内の古文書・古記録類の大部分は収録されているが、祢寝文書、二階堂文書や近世地方文書など収録されていない文書もある。文書記録のほかに、鰐口銘、推鐘銘などの金石文、棟札銘、神像や御正体の図像をも収集している点は、記録史料としての本書の幅の広さを示すものである。
収集書写されている文書記録類には、天喜三年七月廿五日薩摩国司庁宣(台明寺文書)をはじめとする平安時代の文書のように西南戦争などで失われたものの写しを多く含んでおり、現在では『薩藩旧記雑録』による以外に内容の知りえないものが多数にのぼる。前編巻八の原表紙には「巻六」を消して「巻八」と改め、後編巻四の原表紙には「〈後/編〉舊記雑録巻三」の外題墨書の上に「〈後/編〉薩藩舊記雑録巻四」の題簽があり、また「巻四ノ下ノ二」を消しているところがみえるなど、現状の巻数を決定するまでに幾度かの書き直しが行われたことを示している。このような推敲過程は『薩藩舊記雑録』の成立を考えるうえにも注目される。
この島津家に献上された伊地知季安・季通父子による自筆草稿本は、内閣文庫本、鹿児島県庁本よりも膨大な史料を収録しており、その内容において島津氏や薩摩藩史研究に不可欠な根本史料である。収載されている文書記録類は、本来編纂用に書写されたものではあるが、そのうちには現在喪失したものも多く含まれていて、古文書学、歴史学上にもきわめて史料的価値が高い。