東本願寺13世宣如懇志請取消息(越中高岡定塚町廿五日講中宛)
ひがしほんがんじ13せいせんにょこんしうけとりしょうそく(えっちゅうたかおかじょうづかまち25にちこうちゅうあて)
概要
東本願寺13世宣如懇志請取消息(越中高岡定塚町廿五日講中宛)
ひがしほんがんじ13せいせんにょこんしうけとりしょうそく(えっちゅうたかおかじょうづかまち25にちこうちゅうあて)
歴史資料/書跡・典籍/古文書 / 江戸 / 富山県
宣如 (1604~1658/在位1614~1653)
せんにょ
富山県高岡市
年未詳(慶長19~万治元年頃)3月27日付/年未詳(1614~1658年頃)
紙本・継紙(巻子)・墨書
本紙:縦18.0cm×横90.8cm 全体:縦19.8cm×横119.7cm,軸長22.0cm
1通
富山県高岡市古城1-5
資料番号 1-01-295
高岡市立博物館蔵
真宗大谷派(東本願寺)13代宣如の越中高岡定塚町廿五日講中宛の銀子2枚請取消息である。浄土に往生する道筋は一心に阿弥陀如来に深く頼み、ただ称名念仏を唱えるばかりであると述べている。
越中で講の初見は天文21年(1552)10月27日の「五箇山十日講」で五箇山衆中として守るべき3か条を請書したものである。11代顕如、浄土真宗本願寺派(西本願寺)12代准如、東本願寺12代教如時に多くの講の存在を消息よりしることができる。それらは請取消息で懇志請取と法語からなっている。請取消息は准如、東本願寺13代宣如までみられるが、西本願寺13代良如、東本願寺14代琢如ではみられなくなる。
宣如 せんにょ
1604-1658 江戸時代前期の僧。
慶長9年2月21日生まれ。教如の子。真宗大谷派。慶長19年東本願寺13世となる。将軍徳川家光から寺地の寄進をうけ,その一画に別邸渉成園(枳殻邸)をいとなむ。承応元年(1652)御影堂の改築に着手,翌年隠退。万治元年7月25日死去。55歳。京都出身。法名は光従。別号に愚渓。
講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus
【釈文】
越中高岡
廿五日講中 宣如
為志銀子二枚到来候
懇意之至候、抑一流
相伝の趣は此たひ
浄土に往生すへき
ことはりは自余の万
善万行にこゝろを
かけす、一心一向に
阿弥陀如来後生
たすけ給へと深く
たのみ奉るはかり也、
此外になを後生の
みち有といはゝこれ
謬としるへし、然に
一流の安心は弥陀を
たのむ一念の時に
往生は仏智より定
給ふと心得て、さて
一期の間は仏恩報
謝のために常に
称名念仏すへき
計有候、穴賢く
三月廿七日宣如(花押)
越中高岡
定塚町
廿五日講中
【主要参考文献】
・『真宗辞典』河野法雲 雲山龍珠監修 2003年法蔵館発行
・『岩波仏教辞典』中村元/〔ほか〕編 1989年岩波書店発行
・『目でみる越中真宗史』土井了宗編 1991年桂書房発行
・講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus 2025.06.26
・真宗大谷派(東本願寺)HP 2025.07.03
・龍国山本願寺(西本願寺)HP 2025.07.03アクセス等