小川芋銭書簡(筏井竹の門宛)
おがわうせんしょかん(いかだいたけのかどあて)
概要
江戸出身の日本画家・小川芋銭から高岡の俳人・俳画家の筏井竹の門へ宛てた書簡。
竹の門が大牧(富山県南砺市利賀村)から白川(岐阜県)まで訪れたことなどを伝えたようで、その返信とみられる。
江沼半夏『筏井竹の門覚書』(折柳草舎、1990、p185-187)によると、芋銭と竹の門は親交が厚かった。大正7年8月初旬から9月にかけて芋銭は越中に来遊し、小牧温泉を訪ねた後、砺波市徳万の宝念寺に滞在した。のち同9年に竹の門は牛久の芋銭を訪れている。また2度作品を贈ってもいる。
《付属品》封筒(表墨書「(3銭田沢切手/消印「7.12.6」「7.12.7」)」)冨山県高岡市/袋町/筏井乕二郎様」、裏墨書「十二月五日/常陸国/稲敷郡/牛久村/小川芋銭(印)」
【小川芋銭】おがわ うせん
1868-1938 明治-昭和時代前期の日本画家。慶応4年2月18日生まれ。本多錦吉郎に洋画をまなび,独学で日本画も習得。「朝野新聞」などに挿絵や漫画をかく。茨城県牛久に移り住み,院展を中心に活動。河童(かっぱ)の絵で知られる。日本美術院同人。昭和13年12月17日死去。71歳。幼名は不動太郎。本名は茂吉。別号に牛里,草汁庵。代表作に「森羅万象」「夕凪」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus
【筏井竹の門】いかだい たけのかど
1871-1925 明治-大正時代の俳人。
明治4年10月16日、金沢生まれ。39年寺野守水老(しゅすいろう)と富山県高岡に越友会をおこし,「葦附(あしつき)」を創刊。のち河東碧梧桐(へきごとう)の新傾向俳句に共鳴して「海紅」に参加した。大正14年3月28日死去。55歳。旧姓は向田。本名は虎次郎。別号に雪の村人。句集に「竹の門句集」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus