年未詳七月七日付前田利長書状(神尾之直宛)
ねんみしょうしちがつなのかづけまえだとしながしょじょう(かみおずしょゆきなおあて)
概要
越中の中央を流れる神通川の渡しを草島・千原崎(富山市)で行ってほしいという願いを許可し、さらに町立てと諸役(労働や税)免除の特権も認めている。慶長14年(1609)、神通川河口にあった岩瀬渡が海岸浸食と氾濫によって退転したので、利長はやや上流の草島に渡しを新設した。高岡と魚津を結ぶ軍用路・藩主往還路(北陸街道)として機能するようになった。
駒井中務少輔守勝に相談せよと、宛先の神尾図書之直に命じている。
【釈文】
(端裏上書)
「(切封) つしよ(神尾図書) はひ(利長)
参 」
此かきつけくさしま
ちハらさきの百せう
あけ候、此わたりの
事ハ
申つけ候て、よき所に
まちをたて、やくを
ゆるし
申候へと申候へく候、何と申
つけ候てよく候わんや、
中少(駒井中務少輔)なとそうたん候て
申つけられ候へく候、
かしく
七月七日