(慶長六年カ)八月三日付横山長知書状(守山町 小四郎・春四郎・彦左衛門宛)
けいちょうろくねんかはちがつみっかづけ よこやまながちかしょじょう もりやままち こしろう はるしろう ひこざえもん
概要
前田利長の側近・横山長知が氷見より松板を取り寄せるため、人足は守山町へ申し付け、この地(金沢か)まで届けるように指示している。宛先の「小四郎」が上坂(こうさか)家の当主と思われる(高岡市立博物館蔵「天正11年7月26日付神保氏張年貢請取状」の宛所も「小四郎」)。
長知(1568~1646/ながちか)は後に加賀八家となる横山家2代。通称・大膳。慶長13年(1608)2月に武蔵守、同20年(1615)閏6月に山城守に任ぜられる。
現高岡市東海老坂の旧家・上坂家文書のうち。木倉豊信「上坂家文書目録」〔『越中史壇』28(越中史壇会、1964.3)〕の9号文書。また、木倉豊信『中越史翰』収録(氷見よりの松板継送につき申渡書)。
本史料を含む次の4通(全て横山長知書状)が連続で巻子装され、その3通目である。
①慶長6年7月7日付横山長知書状(綾子村・加茂村・守山町 肝煎中)、②寛永14年11月7日付横山長知年貢免状(氷見庄海老坂村百姓中宛)、③(慶長6年カ)8月3日付横山長知書状(守山町 小四郎・春四郎・彦左衛門宛)、④寛永8年10月25日付横山長知免相申付状(海老坂村・宇波村・小坂井村宛)。
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【釈文】
以上、
態申遣候、
氷見より松
いた取よせ候
間、人足之事
町中へ申
付、此地まて
相届可申者也、
大膳
八月三日 長知(花押)
守山町
小四郎
春四郎
彦左衛門