突線鈕3式銅鐸
とつせんちゅうさんしきどうたく
概要
銅鐸(どうたく)は、青銅(せいどう)でつくられた、儀礼用のカネです。紀元前3世紀頃に、中国や朝鮮半島から、日本に伝わりました。青銅とは、主に銅、錫(すず)、鉛(なまり)からなる合金です。この銅鐸も、いまは錆(さび)に覆われ青緑色(あおみどりいろ)になっていますが、つくられた当時は金色に光り輝いていました。銅鐸は、元々は吊り手に紐(ひも)を通して使ったと考えられています。その内側には木や石、動物の角などでつくった舌(ぜつ)という棒を吊るし、本体を振って鳴らしていました。
まず、本体の部分を見てみましょう。よく見ると、二つの面の装飾が違います。片方の面は格子状に区切られています。これを、僧侶の袈裟(けさ)の文様に似ているところから、袈裟襷文(けさだすきもん)といいます。もう片方の面は、横に伸びる帯状の文様から、横帯紋(おうたいもん)と呼ばれています。次に吊り手を見てみると、大きくて重い本体に対し、幅広で薄く作られていることがわかります。これは、弥生時代後期の新しい段階の銅鐸の特徴です。
また、この頃になると銅鐸のデザインに地域差が生まれます。たとえばこちらは静岡県、東海地方の銅鐸ですが、近畿地方の銅鐸の吊り手には、飾り耳といわれる装飾がつくようになります。後期になると材料の鉛の入手先が変わること、銅鐸の作り手が大きく二つのグループに分かれたこと、また、銅鐸を作るために金属を流し込む鋳型(いがた)が、石製から土製に変わったことが主な原因です。土の鋳型になることで、銅鐸に繊細な文様を加えたり、より大きなサイズのものを作ったりすることが可能になりました。
このように銅鐸は、時代がくだるにつれて大型になり、装飾性を増して、鳴り物としての機能を失っていきます。このような変化は「聞く銅鐸から見る銅鐸へ」といわれています。この作品も、振り鳴らすカネというよりも、まさに「見る銅鐸」として、儀礼的な力を発揮していたのでしょう。