宮脇廃寺跡
みやわきはいじあと
概要
阿武隈山地の北西端付近,伊達市霊山町大石に所在する15世紀前半に創建され,15世紀中頃に焼失した寺院跡。平成18年度から行われた発掘調査により,寺跡の範囲や内容が明らかになった。
寺跡は,伊達氏の本拠地である梁川から,霊山(りょうぜん)へと向かう街道に面した狭隘な谷筋に立地する。池を中心に建てられた2棟の礎石建物が確認されている。いずれの建物も保存状態は良好であり,池にせり出して造られた礎石建物は仏堂と考えられ、四面に縁が巡る総瓦葺である。池に浮かび上がる仏堂の様を演出したと考えられ,北山文化の影響が想定される。また,出土した軒平瓦の大半を占める半截菊花文軒平瓦(はんさいきっかもんのきひらがわら)は,京都相国寺(しょうこくじ),鹿苑寺(ろくおんじ)(金閣寺),栃木県足利市樺崎寺(かばざきでら),鎌倉のものと共通する。
室町幕府と鎌倉府とが対立した時期,伊達氏は幕府方として行動したことが史料から知られるが,宮脇廃寺跡の遺構や出土瓦は,幕府と伊達氏との結びつきを考古学的にも証明する遺物として注目される。北山文化の東北への伝播を知る上でも重要である。