結城廃寺跡
附 結城八幡瓦窯跡
ゆうきはいじあと つけたりゆうきはちまんかわらがまあと
概要
結城廃寺跡は,関東平野北部にあたる下総台地西北部の鬼怒川西岸に所在する。この地は下総国の北端に位置する古代の結城郡のほぼ中央にあたり,結城郷に比定されている。結城市教育委員会は,昭和56年度より確認調査等を行い,寺院跡の存在を確認した。そして,昭和63年度から平成7年度の8次にわたる発掘調査を行ない,その詳細を把握した。また,結城八幡瓦窯跡は,昭和28年に高井悌三郎により調査が行われたのを嚆矢に,平成12・13年度には結城市教育委員会が内容確認調査を行ない,合計4基の窯を確認している。
寺域は,溝により区画されており,南東角を欠く南北約250メートル前後,東西約180メートルの不規則な長方形である。中枢伽藍の配置は,中門,講堂に取り付く回廊に囲まれた範囲に,西に金堂,東に塔が並び建てられた法起寺式で,南北64メートル,東西74メートルの規模を持つ。講堂の北には僧坊と考えられる建物が配置されている。なお,南門等は確認されていない。
出土遺物は豊富で,下野薬師寺の系統を引く軒平・軒丸瓦のほか,棰先瓦,多数の塼仏片,塑像片,風鐸,蓮華文が描かれた花崗岩製の舎利孔蓋などが検出された。このうち,東国ではまれな塼仏や棰先瓦,舎利孔蓋の蓮華文は,この寺院が極めて色濃い畿内的な特徴をもつことを示している。また,創建期の瓦は,廃寺の北東約500メートルにある結城八幡瓦窯跡で生産されている。
土器や瓦から,結城廃寺は,8世紀前半に建立され,10世紀中頃から後半に焼失したと考えられる。「法成寺」とへら書きされた文字瓦があり,『将門記』にみえる結城郡法城寺にあたる可能性が高いことも指摘されている。なお,鎌倉時代に寺域の東西幅を約60メートル減じて,再興され,室町時代中頃に廃絶している。
結城廃寺跡は,いわゆる七堂伽藍を備えた大規模な地方寺院であるとともに,塼仏,蓮華文石蓋,棰先瓦など,古代東国にあって極めて強い畿内的な特徴を持つ寺院跡であり,仏教文化の東国への伝播と東国での発展を考える上で極めて重要な遺跡である。よって,この寺に創建時の瓦を供給した結城八幡瓦窯跡とともに史跡に指定し,保護を図ろうとするものである。