根尾氏宛 織田信長朱印状
ねおしあて おだのぶながしゅいんじょう
概要
天正2年(1574)5月26日付、織田信長より根尾右京亮等宛越前国小山七郷とその公文跡職の宛てがい状である。
根尾氏は美濃国根尾谷の豪族で、小山七郷は国境の温見峠を越えて北隣する。根尾家系図によると右京亮は信長に従って転戦したが、天正10年(1582)本能寺の変で討死した。子の九郎左衛門宗胤は砺波郡庄下郷に移住、千保川跡を開き庄下舘村を立てた。次後、村高は慶長10年(1605)286石余、明暦2年(1656)には342石に達したが、それから寛文10年(1670)までの間に千保川の水害で殆どを失い、宝永5年(1708)矢木村の現地へ移った。
子孫は草高を集積し、明治末年には高2千石の大地主に成長した。
中世末に砺波平野へ移住して開発にあたった一事例であるが、この文書はその先祖を証する貴重な意味を持っている。