原の辻遺跡
はるのつじいせき
概要
原の辻遺跡は,長崎県の北方に浮かぶ壱岐島の南東部の台地から平野部に広がる,弥生時代中期から後期にかけての大規模集落跡である。遺跡は大正時代から注目され,戦前・終戦直後の発掘調査を経て,昭和50年以降は長崎県・芦辺町・石田町の各教育委員会による継続的な調査がおこなわれている。
その結果,3重の環濠に囲まれた集落域の規模は24haに達し,その周辺の遺構を含めると,遺跡としての広がりは約100haに及ぶことが判明した。環濠内部では掘立柱建物跡の集中する祭場の一部や多数の竪穴住居跡からなる居住域が確認され,環濠の内外では墓域も見つかっている。遺物としては土器や石器のみならず,青銅器・鉄器・木器・骨角器等が多量に,しかも良好な状況で出土した。とりわけ大陸の集団との交渉を裏づける土器・青銅器・鉄器等が数多く認められたことは大きな特徴である。
そして,『魏志倭人伝』に記載された「一支国」の中心集落の様相が明らかとなり,弥生時代の対外交渉を解明する上で重要であることから,平成9年9月に史跡に指定された。
その後の調査では,3重の環濠の他にも溝が発見され,多重環濠になることが判明した。また,環濠の外からは船着き場跡や道路状遺構,さらには水田跡等も検出され,環濠周辺の様相も明らかとなっている。また,床大引材と呼ばれる建築部材が確認され,これまでにない構造の高床倉庫の存在も推測されることとなった。さらに、これまで出土していた貨泉に加え五銖銭や大泉五十等といった銭貨が出土し,これらを含めた多量の大陸系遺物は,他の大規模集落のそれを圧倒している。九州北部や瀬戸内地域等の土器が出土していることからすると,本遺跡が大陸系文物をめぐる流通の拠点であったことを強く示唆している。
原の辻遺跡は弥生時代の環濠集落としては最大級の規模を有し,検出された遺構・遺物により,集落の構造や当時の暮らしぶり,さらには大陸との交渉の窓口という性格などが明らかとなった。中国の史書に記されたクニの中心集落の実態が明らかになったという点では希有の例である。こうした成果は考古学のみならず古代史・東アジア史・建築史など広い分野にわたって豊富な資料を提供しており,学術的価値はきわめて高い。よって特別史跡に指定しようとするものである。