三内丸山遺跡
さんないまるやまいせき
概要
三内丸山遺跡は、青森市の中央部を北東へ抜けて青森湾に注ぐ沖館川の右岸台地上に営まれた35haに及ぶ縄文時代前・中期の大規模遺跡である。江戸時代から知られていたが、平成4年に開始された野球場建設にともなう発掘調査が進められる中、平成6年に遺跡の重要性が判明し、保存が決定された。それに引き続き、遺跡の範囲や内容を確認する発掘調査が青森県教育委員会によって行われた。これらの調査は調査面積83,238m2に及び,本遺跡が東北北部から北海道南部における縄文時代前期半ばから中期末に及ぶ大規模で拠点的な集落であり、竪穴住居、土坑墓、埋設土器、貯蔵穴、大型掘立柱建物、盛土遺構などの各種遺構が計画的に配置されていたことが明らかにされた。また、当時の生活、生業、交流、自然環境などを示す多種多様な遺物が検出された。このことから、わが国の縄文文化の様相を雄弁に物語る遺跡として、平成9年3月に史跡に指定されるとともに、建物復元や遺構展示等による整備も図られてきた。
指定後、青森県教育委員会により、調査面積約12,200m2に及ぶ内容確認調査が継続して行われている。平成9年度には両側に土坑墓列を配置する幅約12mの基幹道路跡が集落中央から東に約420m以上に及ぶことが確認された。また、平成10年度から12年度には集落西南で環状配石墓・配石墓・土坑墓からなる墓域と集落中央からこの墓域に向かう長さ170mの道路跡などが調査された。これらの調査の結果、集落の内容や社会組織を解明する上での重要な手がかりが得られた。また、発掘調査と並行して、出土種子の遺伝子分析、高精度年代測定、花粉分析、動・植物遺存体分析、土偶の胎土分析、黒曜石などの蛍光X線分析など、さまざまな自然科学的分析が体系的に行われている。こうした分析からは、クリやウルシが栽培されていた可能性が高いこと、集落の存続期間が5500〜4000年前前後の約1500年間に及ぶことや土器型式の時間幅の詳細、遺跡周辺の自然環境・生態系、縄文人の資源利用や交流・交易の実態など、従来の想定をはるかに超えるものが明らかにされてきた。以上のような調査や分析の結果は、毎年刊行される調査報告書や『史跡三内丸山遺跡年報』で公開されるとともに、様々な媒体を通じて、学界のみならず一般の人々の縄文文化に対する見方、考え方に大きな影響を与えている。
このように三内丸山遺跡は代表的な縄文遺跡として、規模が極めて大きく、存続期間も非常に長い。また、豊富な内容を有し、様々な情報を発信しており、縄文文化の実態を総合的に解明する上で、欠かすことのできない極めて高い学術的な価値をもつ。よって特別史跡に指定しようとするものである。