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宗谷の護国寺跡

そうやのごごくじあと

概要

宗谷の護国寺跡

そうやのごごくじあと

社寺跡又は旧境内 / 江戸 / 北海道

北海道

江戸時代

稚内市大字宗谷村字宗谷

宗谷バスの宗谷バス停から徒歩5分、市内から車で30分、稚内市教育委員会 0162-22-2727

北海道指定史跡

・安政2年(1855)、幕府は蝦夷地を再直轄し、北蝦夷地警備のため宗谷は秋田藩に割り当てられ藩士が駐屯するようになりました。
・安政3年、有珠善光寺七代住職性誉仙海は宗谷場所請負人藤野家の宗谷支配人粂屋八郎右衛門と相談し、宗谷に浄土宗の一寺を開山し、安政6年に建立されました。
・寺号を泰平山松寿院護国寺と称し、幕府直轄の寺院としてその持ち場は、西の利尻島、礼文島、増毛から東の網走までと広範囲にわたっており、死者供養のために寺の僧侶が持ち場を巡回していました。
・明治17年廃寺となり、明治45年(1912)の再建工事の際に焼失しました。宗谷川の対岸の現在地に護国寺が再建されたのは戦後の昭和25年(1950)のことです。
・境内には、天明5年(1785)の樺太探検後、この地で越冬し、殉職した幕府普請役庵原弥六や北辺警備にあたった幕吏および諸藩士の墓があります。

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キーワード

北海道 / 蝦夷 / 有珠 / 宗谷

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