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一乗谷朝倉氏遺跡

いちじょうだにあさくらしいせき

概要

一乗谷朝倉氏遺跡

いちじょうだにあさくらしいせき

史跡 / 中部 / 福井県

福井県

福井市城戸ノ内町・安波賀町・東新町・西新町

指定年月日:19300708
管理団体名:福井市(昭5・10・4)

史跡名勝天然記念物

一乘谷城山ノ南北麓ニ在リ今二箇所ニ其阯ヲ留ム一ハ三方ニ腰石垣土壘ヲ繞ラシ外方ニ濠阯ヲ存ス又園池石組等ヨク殘存シテ舊規ヲ見ルヘク正面ニ唐門アリ一ハ西南一町餘ノ山麓ニアリ諏訪舘トス義景ノ妻ノ別邸阯ト傳ヘラル園池瀧ノ石組等アリ上ノ園阯ト共ニ古園ノ形態ヲ留ム
朝倉氏舘阯ノ東方高所ニ南陽寺阯アリ義景ガ足利義昭ノ爲メニ觀櫻ノ宴ヲ催セシ處ト傳ヘラル舊時ノ庭園ノ一部ヲ存セリ
S46-01-021一乗谷朝倉氏遺跡.txt: 一乗谷の地は、東西に山が迫り、その山あいを北流する一乗谷川に沿って帯状に狭い平地の連らなるところで、ここは文明3年(1471)、敏景が黒丸城より居を移してより5代103年間の戦国大名の雄朝倉氏の拠点として著名である。
 これまで朝倉館、諏訪館、南陽寺、朝倉敏景墓、城跡、上・下城戸跡が指定されているが、さらに館跡、家臣居館跡、御所跡、寺跡、神社跡、櫓跡等と平地の東西に迫る山の部分を追加指定し、これに史跡西山光照寺跡を合わせ、戦国大名の拠点の形態を総合的に保存しようとするものである。なお、これを機会にあわせて特別史跡とするものである。
S39-06-015一乗谷朝倉氏遺跡(史跡).txt: 一乗谷に拠地を構えた北陸の雄朝倉氏は、天正元年織田信長にほろぼされたが、かつては将軍足利義昭もここに庇護を求めた。南北に長い山[[間]あい]に一乗谷川が北流し、帯状の平地が続く。このような地形は、防備しやすく、中世豪族の拠地として好んで選ばれたのであって、その典型的な例が本史跡である。
 一乗谷川の右岸の[[館]やかた]跡は、すでに史跡および名勝に指定されているが、これに[[城戸]きど]跡および城跡を追加指定し、拠地の総合的な保存を行なおうとするものである。
 城戸は館の北(下城戸)と南(上城戸)にあり、谷を東西に横断する防壘である。この両城戸の間は、約1.5キロメートル、一乗谷の中枢部で城戸の内といわれている。いま一部は取り払われているが、旧観をとどめ、下城戸で巨石の石垣が[[喰違]くいちがい]を構成しているのは偉観である。
 城は館の東背部にそびえる一乗城山(標高435メートル)の頂上部に築かれた山城で、本丸等の四郭が尾根上にあり、また千畳敷、観音屋敷、調練場等の[[郭]くるわ]が配されている。

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