杣山城跡
そまやまじょうあと
概要
俚俗城山トシ累代瓜生氏ノ居城ニシテ延元元年金ヶ崎城重囲ニ陷ルヤ瓜生保 新田氏ニ應シテ金ヶ崎城ノ後詰ヲナシ一族多ク戰没セシガ後 新田義貞ノ入城ニ依リ一時越前官軍ノ根據地トナリシ處ナリ山頂ニ城台アリ海拔四百九十二メートルヲ有シ東北面ハ特ニ岩石聳立シテ峻險ナリ稍■降リテ東西ノ御殿阯及殿池アリ 又瓜生氏館阯家臣館阯及城戸土壘ハ北麓大字阿久和ニアリテ畧■旧規ラ存セリ
S53-06-024[[杣山]そまやま]城跡.txt: 『太平記』に、南北朝時代の北陸南朝方の拠点として登場する杣山城については昭和9年3月13日に北麓の城主居館跡の一部、阿久和地区に残る家臣屋敷跡の一部2か所及び阿久和川の谷の出口に築かれた城戸口の土塁の一部がそれぞれ史跡に指定されている。
今回これに、城主居館跡の未指定部分、この北側に接する城戸の土塁、及び阿久和川谷の出口を区切る城戸の土塁・堀跡の未指定部分を追加して指定するものである。