塙保己一旧宅
はなわほきいちきゅうたく
概要
塙保己一延享三年武藏国兒玉郡保木野村(今の金屋村大字保木野)に生る五歳にして盲目となり十三歳江戸に出で刻苦力行汎く国学を研鑚し遂に世に重きを爲すに至る。寛政十五年幕府に請うて和学講談所を建て旦群書類從、日本後紀、令義解等を刊行する等学術上貢献する處極めて大なり文政四年九月十二日歿す。
宅は其の生誕し幼時を過せし處にして萱葺二階建南面して建てられ向って左側に所謂田字形の配置を爲せる部屋を右側に土間、廐(今物置)を配す部屋の西、北両側面に建増の部分あり又嘗て後方へ若干引かれたる等後世の修補にかかる箇所あるも主要部分はより舊規模を存せり。