大隈重信旧宅
おおくましげのぶきゅうたく
概要
天保九年二月十六日佐賀会所小路に、佐賀藩士の子として生まれ、大正十一年一月十日歿した。
大隈重信の主な業績は、明治維新後であって、政府の官僚として明治初期における国家の基礎確立に尽すところ多く、また国会、政党政治の実現を主張し、自ら立憲改進党を組織した。明治三十一年六月および大正三年四月の二回政党内閣を組織して総理大臣となった。また、学問の独立を求めて東京専門学校(早稲田大学)を創立し、政治と教育文化の向上とを兼ね備えた点、政治家の多い内にあって、盖し独特である。
家は、父熊之允が、天保三年買得したもので、生誕以来、重信はここを住居とし、幕末の動搖期に国事に奔走したのも実にこの家にいる頃で、明治元年ここを去って東京に出た。
佐賀地方によく見るかぎ家で、二間ばかり北方にひかれ、玄関に改造のあとあり、また台所は撤去されて管理部屋が附設される等、変改のあとはあるが、座敷、次の間、居間等主要部はよく残っている。二階の部分は、母が重信のために建て増したといわれている。
著名な人物の旧宅として重要であるばかりでなく、武家屋敷の遺例としても貴重である。