山北のお峰入り
やまきたのおみねいり
概要
この「お峰入り」の発祥については祥かでなく、その歴史はかなり古いものと思われるが、「大神宮御祭礼帳」文久三年(一八六三)の確かな記録が残っている。
お峰入りという名称は、一般には修験道の入峰修行を意味するものであり、この地の「お峰入り」は、これと同じものではないが、かつては皆瀬川地区は山岳修行の行場の一つであり、現在お峰入りに参加している人々もその道統の人達である。特に「お峰入り」の中の「修行踊」は山伏修行の印象をよく表現している。
この踊りは、皆瀬川の各地区の人々が分担し行ない、構成人員は八十一人、役は二十九種ある。地域の人々は現在は共和小学校に集合し、校庭で全歌舞を演じてから神明社にお練りし、社前で再度演じる。お練りの途中竜集山を仰ぐ所に集まるといっせいに万燈を振る。歌舞は「みそぎ」「満月の歌」「棒踊り」「鹿枝【かしえ】踊り」「棒踊り」「修行踊り」「歌の山」「四節踊り」「五色踊り」「棒踊り」の十種が伝承されている。この「お峰入り」は、大規模な風流芸能の一つで、地方的特色の顕著なものである。