郡上踊
ぐじょうおどり
概要
郡上踊は、寛永年間(一六二四-四四)、郡上の時の藩主遠藤慶隆【えんどうよしたか】但馬守が士農工商の融和を図るために催したのに始まったとされている盆踊である。現在この踊りは、八月十三日から十六日の孟蘭盆【うらぼん】の徹夜踊を中心に、七月中旬から九月上旬にかけて、各町の神様の祭礼、仏様の供養の日に踊られる縁日踊(たとえば上【かみ】が洞【ほら】・八坂神社の七月十六日の天王祭、尾崎・洞泉寺の八月七日の弁天七夕祭、上桝形【かみますがた】・地蔵の八月二十四日の地蔵祭など)、その他が次々と繰り広げられる。各地からも多くの人が参集する著名な盆踊であり、ことに徹夜踊のときは賑わいが最高潮に達し、一つの音頭屋台を踊りの輪が何重にも取り巻き壮観を極める。
この踊りは以前は歌だけで踊られたものだが、今は、音頭屋台上の大小太鼓・笛・三味線・拍子木の伴奏に合わせて踊られている。伝承曲は、「古調かわさき」「かわさき」(大正時代に「古調かわさき」をもとに改変して振り付けられたもの)「三百【さんびやく】」「春駒【はるこま】」「猫の子」「さわぎ」「甚句【じんく】」「げんげんばらばら」「ヤッチク」「まつさか」であり、踊り手の仕度は思い思いで、頬かぶりあり、尻はしょりありで、下駄ばきである。語り物口説きの音頭で踊られるものあり、甚句で踊られるものあり、また、きびきびとした手振りでスピーディーに踊るものもあれば、ゆっくりとしたリズムのものもあり(概して下駄を踏みならす点に特徴がある)、さらに音頭に対して踊り手が返し歌をしたり、囃子言葉で応じたり等して、全体としてバラエティーに富んだ内容豊富な盆踊である。
この郡上踊は、わが国を代表する盆踊の一つとして芸能史上とくに重要なものであり、また、美濃北部山村の豊富な民謡を背景にした独特の手を伝えているなど、地域的特色の顕著な盆踊である。