十津川の大踊
とつかわのおおおどり
概要
奈良県の南端、奥吉野の十津川村に伝承されてきているもので、現在は同村の字小原、字武蔵、西川地区(字永井【ながい】、重里【しげさと】など)の三地区で、それぞれ地区ごとに毎年八月の盆に、学校の庭などで踊られる。地区の老若男女が、浴衣などを着て、美しい房を付けたバチで太鼓を打ち、また切子灯籠を下げた笹竹を持ったりして盛大に踊る。大がかりな風流踊の一部が残ったもので、同村にある玉置【たまき】山という霊山を巡礼する僧侶や信者によって伝承されてきたものともいわれている。なお、曲目としては本曲の「大踊」のほか、近年は踊られないが「十三四五【じゆうさんしご】」「鎌倉踊」「お城」なども伝えていた。
小原では、八月一日からナラシ(練習)を始め、七日盆でいったん区切りをつけ、さらに本格的に練習し十三日の大盆に、小学校の庭で踊られている。もとは寺の堂内で踊ったというが、男女が方形に並び、前列に男性が太鼓を持って並び、後ろに女性が扇を手にして並ぶ。また、房で飾った切子灯籠を笹竹につけたものを持つ者も加わる。太鼓打ちは、白・赤・緑に染め分けた長い房の付いたバチで太鼓を打ちながら、女性は扇を振りながら踊る。太鼓を持つ太鼓持ちの列と、バチを持った太鼓打ちの列に分かれても踊られる。農作業の服装に笠で顔を隠すなどの仮装をして踊りに加わる者もいる。かつては八朔(新暦九月一日)にも踊ったという。
武蔵でも同様に準備を進め、十四日の夕刻に、元小学校の校庭で踊られる。やはり、かつては寺の堂内で踊られた。この地区でも男性は太鼓を持ち、房飾りを付けたバチで太鼓を打ちながら踊り、女性はタスキをかけて扇を手にし、さらに笹竹に切子灯籠を吊り下げた灯籠持ちが列を作って横に並ぶ。歌は男女掛合で歌う。最後は内側に太鼓持ち、つぎに太鼓打ち、扇を持った女性という三列の輪踊りになるなど相当複雑な形式を持っている。歌詞に「なむあみだぶつさあおどらいで」という言葉があり、念仏踊りの系譜をひくともいわれている。
西川地区は、同村内を流れる西川の川筋で、かつては大字ごとに盛んに踊りが行われていたが、大正の初めころから、同川筋の永井に周辺の人々が集まり共に踊るようになった。今は、永井と重里の人々を中心に保存会が作られ、踊りが伝承されている。盆の十五日に中学校の校庭で踊られるが、もとは河原で、さらに以前は寺の堂内で踊られたという。盆りはヨリコ、イリハ、カケイリと演じられる。ヨリコは、男性は白い房を付けたバチを持つ太鼓打ちと太鼓を両手に持つ太鼓持ちに分かれ、横隊となり、その後ろに女性が両手に扇を持って踊る。イリハでは、男性は胸に太鼓を吊り下げ、赤・白の長い房の付いたバチを振りながら太鼓を打ちつつ踊る。カケイリでは、ヨリコと同じ形態で踊るが、切子灯籠を吊り下げた灯籠持ちが加わる。西川では、ヤグラを設けず、方形の一団となったまま、場所を移動する形式である。またヨリコは歌詞を変えて雨乞いの時も踊ったとされる。
十津川村の大踊りは、風流踊りの典型例の一つとして、芸能史上注目すべき点が多い。
よって重要無形民俗文化財に指定し、その保存を図ろうとするものである。