やすらい花
やすらいばな
概要
やすらい花は、京都市の紫野や上賀茂など洛北の四地区に伝承され、春の桜花の季節に、花を飾った長柄の風流傘をおしたて、行列となって巡回し、笛と歌の伴奏に囃されながら、シャグマを冠った異装の者が、鉦・太鼓を打ちながら、町の辻々で踊りをくりひろげるものであり、今日、日本の各地で行われる「風流【ふりゆう】」の典型的な一つである。
やすらい花の名称の由来は、踊歌の囃【はや】し詞【ことば】から名付けられたもので平安時代末期に名称がみえ、歌詞も記録されている。
やすらい花は、疫神を鎮める祭りであり、鎮花祭【ちんかさい】(はなしずめの祭り)の意味あいももっている。鎮花祭とは、春の花が飛散する時、悪霊や疫神も共に飛び散って人々を悩ませるという言い伝えから、この時期に疫神を鎮めるために行われるようになり、後に次第に風流化し、人々は踊り狂いながら神送りをするようになったもので、稲の花が早く飛び散らないようにという農耕の予祝行事の意味あいも加わったとされる。
現在、地区によって公開される日が異なるが、もとは三月十日(明治の改暦後は四月十日)に、各地区から行列を組み、町内を練りながら今宮神社(京都市北区紫野今宮町)に巡行していた。今宮神社は、疫神を祀ったことに始まるとされる神社で、今宮やすらい会は、現在でも同神社に巡回しているが、他の三地区は立ち寄らず、それぞれの場所から神社を遥拝し、踊りを奉納するなど、かつての形態を継承している。各伝承地区で行列の構成等に多少の違いはあるが、大ぶりの傘の周囲に緋色の布を垂らし、傘の頂部に生花を挿した花篭をのせた、いわゆる風流傘(「傘ぼこ」、「花傘」)、白小袖、白袴の上に緋色の打掛をはおり、頭にシャグマを冠った四人の踊り手(「鬼」、「大鬼」と呼ばれ、このうち二人は鉦を、他の二人は太鼓を持つ)、緋色の振袖に袴をはき、シャグマの上に烏帽子をかぶり、胸に羯鼓【かつこ】をつけた二人の子供(「かんこ」、「かんこもち」、「小鬼」)、歌い手(「音頭」、「音頭とり」)、笛、囃し詞の役の多数の人々(「太刀持」)などで構成され、地区内の小祠【しようし】や定まった場所、あるいは希望する個人の家の前などで、歌と囃し詞、笛を伴奏に四人の踊り手がシャグマを振り乱し、鉦・太鼓を打って激しく踊り狂うもので、その芸態や構成など我が国の芸能の変遷の過程を示すもので貴重である。