木造不動明王立像
もくぞうふどうみょうおうりゅうぞう
概要
木造不動明王立像
もくぞうふどうみょうおうりゅうぞう
愛媛県
平安後期
ヒノキ材、寄木または一木割矧造、彫眼、彩色(後補)右手を腰前に置き剣を持ち、左手は垂下して羂索を持ち、岩座の上に立つ。下半身には裙(裳)を巻き付け、上半身には条帛を着ける。頭部は巻髪で左耳前に弁髪を垂らし、頭頂部に七沙髻が結ばれる。面相部は右目を見開き、左目は少し眇とする。大きくどっしりした鼻、口はしっかりと結び牙が右口端から上に向けて、左口端から下に向けて出る。耳朶は環状(右は欠失)。首に三道が僅かに膨らみをみせる。一木割矧造または寄木造で、躯幹部は前後に矧ぎ、頭部は前後に三材とする。三道下で割首とし、両肩先・肘・手首・両足先は別材を矧ぐ。忿怒形ではあるが、面相部が比較的穏やかに表現され、裙の衣文も浅く柔らかく彫られており、裾も翻すことなくたくし上げており、平安時代後期、12世紀の制作とみられる。
像高97.4㎝、髪際高89.5㎝、頭頂-顎17.1㎝、髪際-顎10.0㎝、耳張14.5㎝、面張9.5㎝、面奥14.3㎝、肩張29.3㎝、肘張45.7㎝、胸奥15.5㎝、腹奥19.0㎝、裾張27.0㎝、腰張24.0㎝、足先開(内)7.8㎝、足先開(外)18.2㎝
1躯
愛媛県西宇和郡伊方町中浦甲692
伊方町指定
指定年月日:20150225
有形文化財(美術工芸品)
無量壽山来迎院法通寺は、養老元年(717)の開基と伝えられる、真言宗御室派の寺院である。法通寺の護摩堂本尊である不動明王像は、明和年間(1764~1772)以降の作成と思われる同寺の『當山略由緒』によれば、文明6年(1474)頃に日本大地震津波が起こり、室崎(現・伊方町川永田)に二丈(約6m)の津波が襲った際、白崎(現・伊方町湊浦)の海に黒い物が現れ、夜に光を放った。翌日見に行くと白砂の上に不動明王と弁財天の二尊が立っていたので、合掌九拝して「奥院椿ノ段」(現在の伊方町中浦大師堂付近)に草堂を建ててお祀りしたのが本像で、その後法通寺の護摩堂へ移されたという。