綴子の大太鼓
つづれこのおおだいこ
概要
この行事は雨乞いと豊年万作を願うもので、七月十四日、十五日(往時は旧暦六月十四日、十五日)に氏神綴子神社に奉納されてきた。昭和初期までは上【うえ】町と下【した】町に二分し、例年先陣争いをなしてきたと伝えられるが、現在は隔年交替でなされるように変遷している。
大太鼓の行事は、上町・下町で各決められた場所に集合整列した後、ヤッパリと呼ばれる警固役を先頭に、出陣行列(旗持ち、鳥毛持ち等)、獅子方、露払い(総指揮者)、笛(囃子方)、太鼓方の順に行列をなして境内にいたり、社前において口上を言上し、さらに獅子方によって獅子踊が、旗持ちなどによって奴踊が、そしてヤッパリによって棒術などが奉納される。かかる習俗は両日におよび、十五日の本祭では、その奉納後に神輿の渡御がなされる。
この行事で特に注目されるのは、師匠役・世話役などとも呼ばれる壮年男子によって、太鼓台にのせられた大太鼓・中太鼓・小太鼓の類が笛の音にあわせて各町内を曳かれる点である。うち大太鼓は端面で直径十尺五寸(三・一八メートル)、胴の長さ十二尺(三・六三メートル)、重さ二トンにもおよぶもので、その太鼓打ちの人数は上に前後五人ずつの十人、下で前後二人ずつの四人にもおよび、一筋二十余人の二筋の綱で曳くという大がかりなもので、その音は四里四方になり響くとか、この地方の霊峰田代山神社の神霊にもきこえるとか信じられている。
太鼓の響きが大きいほど、雨乞いの効果があがり、悪疫退散にも霊験があると信じられるなど、この種の行事の一典型をなすものとして注目されるものである。
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国指定文化財等データベース(文化庁)