市来の七夕踊
いちきのたなばたおどり
概要
この芸能は、市来町大里部落の七夕の日に行なわれる風流の踊である。
芸能次第としては、まず前踊として作り物の鹿、虎、牛、鶴などの大張子や琉球王、大名、薙刀踊などの一行が列をなし、次に本踊としての太鼓や鉦を持った太鼓踊が続き、ついで後踊として薙刀踊が続く。この変装仮装した者たちの行列の群行は、芸能演出法としてたぐい稀な特色ある形であり、大里部落多数の者が何らかの役割を担って行列に参加する規模の大きなもので現在は三、四百人が行列する。
この芸能の中心は、太鼓、鉦を楽器とする本踊にあり、古風な歌詞にのって青年と子供の総勢三十余名によって演じられる。青年の踊り子はヤッサ(役者)とも呼ばれ、一番ドン、二番ドン、イデコヒキ、ヒラデコなどの役に分かれ、子供の踊り子はカネウチ、イデコといった役に分かれる。このように太鼓踊が前踊、後踊をともなった形で演じられるのはきわめて稀で特色がある。
この踊の由来としては、一説には島津義弘の朝鮮の役の凱旋の祝賀芸能だったといわれ、踊り一行各役の扮装には丸に十の字の島津氏の紋がつけられる。また他の説では、部落の開田者床濤到住【とこなみとうじゆう】の霊を慰めるために行なわれるのだとの伝承もあり、一方作り物は動物の精霊を示すものと考えられることなどから、これは七夕の日の踊とはいえ、亡き霊を供養する盆行事の前祭りの性格もうかがわれ、注目すべきものである。
所蔵館のウェブサイトで見る
国指定文化財等データベース(文化庁)