紙本墨画淡彩山水図〈一技希維筆/〉
しほんぼくがたんさいさんすいず
概要
本図巻は、文明八年(一四七六)に新五郎なる者が携えて中国に渡り、寧波の親日の文人である袁応驤の跋を得、さらに翌年、致仕して同地に帰っていた著名な文人金湜の跋をも得たものであり、日明文化交流の注目すべき資料となる一巻である。
金湜の跋の書かれた料紙の端に細字で書かれた文明五年の識語には署名がないが、筆癖が款記と一致し、文意からみても画の作者一枝によるものと考えられる。一枝については他に作品の存在も知られず、詳細は不明であるが、大徳寺の養叟宗頤(一三七六~一四五八)の弟子で堺の陽春庵におり、画事を小栗宗湛に学んだと伝えられる一枝鷯侍者がこれに相当するかと見る説がある。
本図の作風は、近景の岩や樹幹にはやや強い輪郭線も見られるが、全体的に軽い墨色で没骨的な筆墨が多用される。その夏珪風に倣う山水画様式は、周文以後の新しい動きを示すものである。山水図巻の遺例としては、雪舟の作品に先立つもので、室町時代の数少ない山水図巻の早期の例として貴重である。