紙本墨画古寺春曇図
概要
最上部に「古寺春雲為関西蒋山温崗老人題」と題した竹庵大縁の七言律詩があり、二段目に景南英文、与可心交、伯元清禅、三段目に古標大秀、江西龍派、亀軒一誠、信中明篤ら著名な五山僧たちの賛が整然と書かれた詩画軸である。関西蒋山はおそらく豊後の万寿寺のことと考えられ、同寺の温崗老人(不詳)のために諸僧が集まって制作したもので、竹庵大縁はその時を永享三年(一四三一)十二月二十七日と記している。
山水の様相を述べると、遠山はほぼ水平に横たわり、その前に遠山とほぼ同じ高さに主山が粗い地肌を見せながら横に広がる。その下方は一部滲みを見せる雲によって覆われる。主峰の直下より発した河水は蛇行しながら手前に流れ、左右より土坡が入りくみ、その一つに重層の伽藍が建つが下部は雲に埋れる。近景は左右より岩が流れを扼するようにせり出し、もっとも狭いところに石橋がかかる。岩の両側には濃く樹影が重なる。
本図に見られる墨色が濃く、主山の高さを強調せず、画面の中心を明確にするという特色は金地院の国宝「溪陰小築図」にも認められ、幾重にも重なる雲を用いて奥行きへの深まりを示す手法は重要文化財「青山白雲図」に通ずるところがある。永享三年(一四三一)という時点においてもなお応永期の山水図の影響下にあることがわかる点に本図の価値が認められる。
本図の賛者のうち、伯元清禅、江西龍派および法系不詳の亀軒一誠を除くといずれも東福寺系の禅僧であり、本図の筆者の画系も東福寺系と考えられる。その意味で本図には相国寺系の周文の印が捺されているが、これは疑問視されよう。
画面に向かって左方の岸に苫船がもやい、舟中に二人の男子が向き合って立っている。あるいは送別の意がここにこめられているのかもしれない。