大王岬に打ち寄せる怒濤
概要
鹿児島出身の藤島武二は18歳で上京し、26歳からの3年間、三重県第一尋常中学校助教諭として津で過ごした。1896(明治29)年、黒田清輝の推薦により東京美術学校西洋画科助教授に就任。同校の教官、卒業生を中心に結成された白馬会や、文展、帝展を舞台に話題作を発表し続け、洋画壇の重鎮として頂点を極めた。
藤島は、浪漫主義の香りのする歴史画に始まり、ヨーロッパ体験を経て、西洋と東洋を融合させた日本の油彩画を創出することに注力した。晩年には、御学問所を飾る油彩画と宮中花蔭亭を飾る壁画の二つの制作依頼を受けて、風景画に集中的に取り組む。藤島は理想の風景を求めて日本各地から東アジアにまで精力的に旅を続け、後世に残る優れた風景画を数多く描いた。
本作は1932(昭和7)年、旭日を追って三重県各地を旅行した際に描かれた。うごめく波は勢いのある大胆な筆さばきで描き、一方、岩山はパッチワークのような幾何学的な色面により表現している。なお、本作とほぼ同構図、同寸法の油彩画が現在、ひろしま美術館に所蔵されている。