枯れ木の風景
概要
萬は、大正時代の中頃に、ピカソに代表されるキュービズムを研究して、息詰まるように重々しく、がっちりとした人物画や静物画を描いている。
しかし、大正八年頃からは、あたかもつき物が落ちたように、のびのびとしたリズム感に溢れる絵画へと向かうことになる。この時期の萬は健康を損ない、茅ヶ崎へ転居して、キュービズムの様式とは対照的だと思われる江戸の文人画に傾倒していくことになった。
「枯木の風景」は、おそらく茅ヶ崎の風景を描いたものであろう。ゆるやかで骨太く感じられる筆さばきには、油絵による文人画の趣が表明されている。
大正十五年秋、四十歳を越えた萬は、江戸の文人画家を論じた書物『谷文晁』をアルス社から出版して、その序文に「東洋画を按ずるに、その内容はある種類の表現主義」であると主張した。
ヨーロッパの表現主義絵画と東洋の文人画との共通項を見出そうとした萬の精神は、「枯木の風景」で着実に展開されているのである。(中谷伸生)