泰澄大師坐像
たいちょうたいしざぞう
概要
大山白山神社の本殿に行基菩薩坐像と共に安置される。本像とこの行基像は同時期に位置具として製作されたと考えられる。大山白山神社は、養老2年(718)、泰澄が白山に登り、白山比咩神社から勧請したもので、武儀郡桐洞村(下呂市金山町菅田桐洞)水晶山を経て、この地へ鎮座したと伝えられる。室町時代の文明12年(1480)には野原の城主安江基政が神殿を再興したと言われる。そして、以後度々安江氏を名乗る一族が社殿の修復をしたと言われる。
たいちょうたいしざぞう
大山白山神社の本殿に行基菩薩坐像と共に安置される。本像とこの行基像は同時期に位置具として製作されたと考えられる。大山白山神社は、養老2年(718)、泰澄が白山に登り、白山比咩神社から勧請したもので、武儀郡桐洞村(下呂市金山町菅田桐洞)水晶山を経て、この地へ鎮座したと伝えられる。室町時代の文明12年(1480)には野原の城主安江基政が神殿を再興したと言われる。そして、以後度々安江氏を名乗る一族が社殿の修復をしたと言われる。
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