久保 木造大日如来坐像、木造毘沙門天立像及び木造不動明王立像
くぼ もくぞうだいちににょらいざぞう、もくぞうびしゃもんてんりゅうぞう、もくぞうふどうみょうおうりゅうぞう
概要
遍照寺の創立年代は不明、正和5年(1316)に再興。室町末期には廃絶したとされる。
当初の宗派は不明であり、後は真言宗であったとある。
大日如来坐像は、天正5年(1577)2月、遍照寺の仏像が破壊されていたため、施主山口藤七左衛門重則夫妻とし仏師日野廻月が彫像した。入仏供養の導師を願成寺12世法印真源が務め、遍照寺住職は覚恵であったとある。(『嗣誠独集覧』)大日如来坐像の胎内墨書銘及び台座心棒にある墨書銘と『嗣誠独集覧』の記録が一致していることから、久保大日堂に安置されている木造大日如来坐像はこの仏像で間違いないと考えられる。
なお、毘沙門天立像及び不動明王立像はその様相から鎌倉時代末期のものと想定され、遍照寺が再興された正和5年(1316)と時期的に合致する。