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笠覆寺 本堂

りゅうふくじ ほんどう

概要

笠覆寺 本堂

りゅうふくじ ほんどう

宗教建築 / 昭和以降 / 中部 / 愛知県

愛知県

江戸時代後期/1763~1818

桁行7間、梁間7間、一重、入母屋造、本瓦葺、正面向拝三間、二軒繁垂木、四方落縁、(背面の落縁は改造)、妻飾は二重虹梁大瓶束、上下虹梁間に大蟇股を置く。

建築面積:340.63㎡(桁行18.38m、梁間16.44m 付向拝38.46㎡)

1棟

愛知県名古屋市南区笠寺町字上新町83番地

宗教法人 笠覆寺 
代表役員 吉川 政春

有形文化財(建造物)

真言宗、山号は天林山。本尊は木造十一面観音立像(県指定文化財)。笠寺観音と呼びならびならわされている。笠寺縁起によれば、もと小松寺に僧善光が十一面観音像を刻み、小堂を建てて安置していたことに始まる。その後荒廃し、仏像が雨露にさらされているのをみた土地の家女が自らの笠をかぶせた。この女はやがて藤原兼平の妻となり、その縁によって兼平は堂舎を再興し、田畠数百町を寄せて笠覆寺と称したという。寺はその後再び荒廃したが、嘉禎4年(1238)僧阿願が再興、荒野三町、水田一町二反を寄せた。この時の阿願解状をはじめ関連文書(県指定文化財)は今も当寺に伝来している。また妙法蓮華教(重要文化財)・銅像十一面観音像、六稜式厨子(県指定文化財)など多くの文化財を蔵する。尾張四観音の一つとして親しまれてきており、いまも初観音や節分では大いににぎわう。 現存する建物は、正保年中(1644~48)に建った多宝塔を最古として、本堂は宝暦13年(1763)頃から建てられはじめたものであり、その他江戸時代の各時期に建った仁王門、西門、鐘楼等、多数の堂宇が建ち並び、密教寺院の特色をよく示している。また、伽藍建物の構成は、江戸時代末期の様相をよく継承している(『尾張名所図会』参照)。

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