三井楽(みみらくのしま)
みいらく(みみらくのしま)
概要
五島列島の福(ふく)江島(えじま)の北西端から東シナ海へと突き出た三井楽半島には,新生代新成紀(第三紀)の終末期頃に楯状(たてじょう)火山の京(きょう)ノ(の)岳(たけ)(標高182m)から噴出した溶岩流が放射状に広がり,緩やかな傾斜面から成る円形の溶岩台地を形成している。
特に,台地の縁辺部には樹木の叢生(そうせい)しない平明な草地が広がり,波打ち際に沿って大小多様な固い黒褐色の玄武岩質(げんぶがんしつ)の溶岩(ようがん)礫(れき)が露出するなど,風光明媚な海浜及び海域の風致景観が展開する。かつて草地では牛馬の放牧が行われ,牧場(まきば)としての管理が行われていたが,現在では海岸砂丘の周辺に落葉低木及び海浜性草本などが散在している。
三井楽の地は,遣唐使が派遣された時代には日本の西のさいはてにあたり,東シナ海を横断する直前の最終寄港地として利用されてきた場所である。『肥前(ひぜんの)国(くに)風土記(ふどき)』には「美禰(みね)良(ら)久(く)之(の)埼(さき)」と記し,遣唐使船に飲料用水を供給した井戸との伝承を持つ「ふぜん河(がわ)」などのゆかりの場所が残されている。10世紀の『蜻蛉(かげろう)日記(にっき)』では「亡き人に逢える島―みみらくのしま―」として紹介され,後代には異国との境界にある島又は死者に逢える西方浄土の島として広く歌枕となった。その風致景観が持つ観賞上の価値及び学術上の価値は高い。