洪家伝来洪浩然関係資料(附)その他洪家伝来資料
こうけでんらいこうこうねんかんれんしりょう(つけたり)そのたこうけでんらいしりょう
概要
洪浩然は、文禄・慶長の役(1592-1598 年)において佐賀に連れてこられた人物である。日本・韓国に所在する洪家の記録から、文禄2(1593)年6 月末の第2 次晋州城攻防戦の際に、晋州近郊の山清郡で鍋島直茂の軍に捕らえられたことが判明している。
書に優れた浩然は、京都五山で数年間学んだ後、佐賀藩初代藩主・鍋島勝茂の側近くに仕えた。晩年、浩然は勝茂に祖国朝鮮へ帰ることを願い出て、一旦は許されその途につくが、唐津境で呼び戻され帰国を断念したという。明暦3(1657)年4 月、主君勝茂の訃報に接した浩然は、子どもたちに「忍」の遺訓をしたため、阿弥陀寺(佐賀市木原)で追い腹を切った。