舘山城跡
たてやまじょうあと
概要
米沢(よねざわ)盆地西縁の丘陵地の東端,小樽川(こたるがわ)と大樽川(おおたるがわ)の合流地点付近の標高310~330mの丘陵先端に立地する山城と山麓部の館跡からなる城跡。「伊達治家記録(だてじか(け)きろく)」に見える舘山城に比定されている。山城は土塁や堀切で区画された3つの曲輪から成り,全長は約320mである。米沢市教育委員会の発掘調査の結果,伊達家が治世にあたった16世紀代と上杉家の米沢入封直後の17世紀前半の遺構があることが判明した。
山麓部の居館群は米沢市教育委員会による発掘調査で16世紀代の遺構が検出され,館山東館では,掘立柱建物や庭園の可能性のある池状遺構,井戸跡等が検出されている。
舘山城跡は,伊達家が版図を拡大した天正15年(1587)~19年(1591)にかけて政治的・軍事的な拠点となった城館であるとともに,山城と同時期の山麓居館跡が良好な状態で残っている。陸奥(むつの)国(くに)南部の有力大名の城館の構造だけでなく,中世社会の動向を知る上で重要である。