白川城跡
しらかわじょうあと
概要
白川城跡(搦目城跡(からめじょうあと)とも言う)は,鎌倉時代後期以降,陸奥国白河荘(しらかわのしょう)(現・福島県白河市及び西白河郡一帯)を拠点として繁栄した白河結城(しらかわゆうき)氏の居城跡で,白河市中心部の東南方約2km,阿武隈川(あぶくまがわ)右岸の丘陵部に所在する。白河結城氏は,南北朝の動乱を経て,現在の福島県中通り一帯の軍事警察権を行使する検断職(けんだんしき)に任じられ,室町時代には奥州南部から北関東まで勢力を拡大したが,16世紀代に入って以降次第に衰退し,天正18年(1590)の奥羽仕置(おううしおき)により改易となった。平成22年度から同27年度にかけて,白河市教育委員会による城跡の発掘調査が実施され,東西約950m,南北約550mの範囲で多数の平場(ひらば)・土塁(どるい)・堀等の遺構が良好に遺存することが判明した。城跡は,御本城山(ごほんじょうやま)地区を中心とする西側の遺構群と,搦目山とその西側に派生する鐘撞堂山(かねつきどうやま)と呼ばれる2本の尾根上を中心に展開する東側の遺構群から成る。南北朝期の中心は御本城山地区であり,その後,搦目山地区に中心が移動したことや,16世紀後半頃に城跡全体で改修が行われたこと等が想定される。中世の陸奥南部地域における鎌倉武士の政治的発展と,その変容の歴史を知る上で貴重である。