仙台城跡
せんだいじょうあと
概要
仙台城跡は、仙台市の中心市街地の西方に位置する青葉山丘陵が広瀬川に突き出した場所に立地する60万石余を領した仙台藩主伊達氏の居城跡である。城跡は、標高115mほどの丘陵の突端に本丸が位置し、北側に二の丸、東側に三の丸を配している。
慶長6年(1601)、仙台藩初代藩主伊達政宗は中世在地豪族であった国分氏の城跡の千代城跡に、仙台城本丸の築造を開始した。本丸部分は2年ほどで完成したとされ、政宗の死後二代忠宗により寛永15年(1638)二の丸の造営が開始されている。
本丸は、東側を広瀬川に臨む60m以上の断崖により、南側を標高差40m以上の竜ノ口峡谷による自然地形によって画されている。また、西側の尾根は堀切で遮断され、背後には国指定天然記念物「青葉山」となっている御裏林が広がっている。
仙台城は、江戸期を通じて伊達氏の居城であったが、廃藩置県後、城跡は兵部省管轄となり二の丸に東北鎮台が置かれ、本丸御殿も解体された。その後、火災や空襲により城跡の建造物はほとんど焼失した。戦後は、城跡の主要地域を中心に仙台市により都市公園として整備されてきている。一方、西側の御裏林を含む地域は、東北大学付属植物園となっている。
現在、仙台城跡は、石垣修復事業が実施されており、それに伴う発掘調査が平成9年度から行われている。その結果、現石垣の背後から大規模な階段状石列や築城期石垣などが三期にわたる石垣の変遷が確認された。それは、17世紀代の地震により崩落した石垣を修復する過程の中で、縄張りが拡張整備されたものであるが、現在みられる切石積みの第3期石垣内側から第3期石垣に伴う階段状石列や第2期の野面積みが確認された。さらにその内側から第2期より傾斜の緩やかな野面積みの第1期石垣が検出されている。また、本丸からは石敷き遺構や大広間の礎石跡、巽櫓跡などを確認している。出土品としては、金箔瓦やヨーロッパ製ガラス器、寛文の朱書のある石材や慶長12年の墨書のある木簡などがある。
このように東北の大大名であった伊達氏の居城の仙台城跡は、発掘調査によって石垣の変遷や本丸地域の遺構が明らかにされつつあり、かつ石垣を中心とした遺構の保存状態が良好であることや、我が国の近世を代表する城跡であることから、史跡として保護しようとするものである。