徳島城跡
とくしまじょうあと
概要
徳島城跡は、徳島県の北東部に位置し、徳島市街地の中心部、標高約61mの城山を中心に築かれた戦国末期から近世の平山城跡で、中世の平山城から始まると伝える。
天正13年(1585)に17万石余の領主として阿波に入国した蜂須賀家政が、本格的な築城に着手し、翌14年に完成した。以後明治に至るまで14代、約280年の間、25万石余の徳島藩主蜂須賀家の居城であった。徳島城跡は東西約640m、南北約550mで、城山頂上に本丸を配し、東二の丸、西二の丸、西三の丸が連なっている。本丸東下には政庁・藩主居所の表御殿が、西三の丸西下には隠居居所の西の丸御殿が置かれていた。明治8年(1875)に城郭建物が撤去され、表御殿庭園と石垣、堀の一部を残すのみとなった。石垣は全て阿波の青石で築かれており、独特の雰囲気と景観を形成している。徳島城跡は、戦国末期から江戸時代まで阿波支配の拠点城郭であり、縄張り、石垣、枡形、庭園、内堀等の遺構も良好に遺存しており、我が国の歴史を考える上で重要である。