臼杵磨崖仏
附 日吉塔、嘉応二年在銘五輪塔
承安二年在銘五輪塔
うすきまがいぶつ つけたり ひよしとう、かおうにねんざいめいごりんとう、じょうあんにねんざいめいごりんとう
概要
臼杵市の西方約4粁の距離にあたり、臼杵川の支流深田川を挾みて起伏する凝灰岩の丘陵に刻せられているもので、字古園・観音・木原・大日及び南津留村大字中尾字山王・ホキの地域にまたがっている。字古園に存する磨崖仏は、その北に対する丘陵にあり、いづれもその岩壁に仏・■等を半肉彫している。壁面並に彫像に亀裂を生じ、造像にも破壊毀損しているものがあるが、その数頗る多く、中にも古園の本尊大日の首部、及び■像、ホキの弥陀、觀音勢至の三尊、山王の隠れ地蔵の如きは優秀なものである。字観音に存する磨崖仏は、大日山の西南丘陵亭ヶ鼻の末端にあり、丘陵を穿って2個の■洞を作り、一洞には蓮城法師の坐像を、一洞には眞野長者夫妻の坐像を置き、共にこの地の磨崖仏佛群像彫作に関係している伝説を存する。字木原の磨崖仏は、亭ヶ鼻の東方低地、道路の傍にあり、凝灰岩をもって彫作している二王の立像で、その作は簡素である。字大日に存する磨崖仏は、俗に門前と称さる丘陵の末端にあり凝灰岩岩壁に仏佛・■等を半肉彫にしたもので、岩貭粗鬆の爲彫像の破壊が甚しいが、不動の立像及び脇侍二像は比較的よく保存している。
これらの磨崖仏は、ほぼ平安時代から鎌倉時代にわたって彫作されたものとみなされるが、中にも平安時代の作に見るべきもの多く、わが国におけるこの種の磨崖仏としてきわめて優秀なものであり、學術上の価値が特に深い。
なお日吉塔は木原にあり、阿蘇熔岩で作られた宝篋印塔で、その作精巧であり、鎌倉時代の遺品と認められる。五輪塔は南津留村中尾の丘陵上にあり、一基には承安二年の銘を存し、一基には嘉応二年の銘を存し、共に阿蘇熔岩で作られた供養塔である。